氏名 堂上孝生(どうがみたかお)
大学卒業後、日本IBM,日本テクニコンを経て1980年,東京税理士会に税理士登録をして独立開業し,現在に至る。
開業後,順調に業績が推移したが偶然にリーマンショック前の2005年頃から,事業をすっかり任せていた相棒が重度の障害で,奮闘25年にして戦列を離れなければならなくなった。
事業規模は10名余で売上規模は1億4千万円程度であったが,その運営は私にとってはとても重荷で,人手の要らない生保代理店業を除いて,業態は急速に衰退していった。
私の体質は参謀系で経営判断や経営戦略には人並以上の能力を発揮するが、日々の事務所運営についてはとても苦手であった。
そのように困り果てたが,それでも相棒の献身的な事務所運営がなくても,税理士事務所が運営できる業態へと切り替えざるを得なかった。色々経営手法を試してみたがことごとく巧く行かず,経営は衰退倒産が予測できた。そこで,当時から「税理士事務所の泥船化」が叫ばれいたが,自らその代表的泥船経営たる「薄利多売方式」に切替えることにした。
そのころ運よく中国人が事業に参画することになったので,在日中国人経営者への格安税務会計サービスを展開し,中国から日本への投資経営ビザの取得を伴う中国人を相手にした税理士事務所の運営が始まった。事務所も一発奮起を目指した千代田区の事務所から下町の江東区に移して家賃負担を減らした。それでも中国人経営者らの金銭感覚は厳しい人が多くて泣かされた。
しかし何とか食べられる顧客数に達した。そのような「低価格報酬」の経営戦略も,一度動きだすと生活の慣れも手伝って苦にならなくなった。事業規模もいつの間にか徐々に拡大し,経営は直ぐに安定に向かい,今では日本人を含めた小規模起業家の税務顧問数は2,000社に達し,業態はすっかり変わったが,以前の相棒の業績にも匹敵する良好な財政状態を作りだしている。
この困窮時期に面して運が良かったんは,クラウド会計が大きな経理負担の逓減をひっさげて登場していた。私はためらわず,freee株式会社の会計ソフトを顧客を増やす戦略の要に据えて集客した。記帳代行は行わなくても良いユーザーに易しい会計ソフトで経理環境下で,税理士事務所が運営できる時代に入っていったのは幸運であった。さもないと私のような経営戦略で飯を食おうとするものには,経理仕訳の人海戦術はとても対応できなかったに違いない。
かくして,何はともあれ私の税理士事務所の財政状態も経営成績も安泰に推移して行けることとなった。前の相棒が作りあげてくれた25年の上に,業態は全くことなるが13年の月日が流れて,中国人顧客を多く抱える薄利多売の税理士事務所が元気よく活動している。恐らくあと10年か15年したら、今の業態の延長線上で経営は10倍にも拡大していく筈である。私はそろそろお世話になった世間に対してやっと恩返しができる体制の入り口にある。厳しい人の「一人起業」を支え、在宅勤務にも貢献し,貧しい人々へのチャリティー活動もやっと視野に入ってきた。
お陰様で体力はすこぶる元気なので更に経営目標を具体化して、不義理を重ねてきた若いころからの世間の人々にも,御恩返しがしたいと思う。また直近13年間も身を粉何して事務所を支えてくれた中国人の相棒にも,またその相棒の苦労を親身に支えてくれた中国人スタッフにも特段の感謝を添えたい。勿論事務所のスタッフ全員の事務所への貢献は言を待たない。
以上 2019年8月吉日 税理士堂上孝生